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大西直樹・千葉眞編『歴史のなかの政教分離――英米におけるその起源と展開』(彩流社、2006)

2007/8/10 金曜日

  アメリカ合衆国における「政教分離」の問題は我々にはわかり難い問題の一つだろう。政治と宗教の「分離」を政治の「世俗化」という形で厳しく制度化したフランスの例などに比べ、アメリカの場合はその「分離」が比較的緩いとよく言われる。しかし、「分離」そのものが何と何の「分離」であるのか、その理解すら曖昧な場合が多い。ならば、「分離」が「緩い」ことの理解などとても覚束ない。軽く読み流す種類の書物ではないが、本書を一読すれば、合衆国における「政教分離」の歴史的起源や現代的な位相に関し多くの理解を得ることができる。他の分野の学生ならば、興味のある章だけを拾い読むのもよい。歴史学・法学・宗教学などを専門とする13名の研究者からなる共同研究の成果として、広義のアメリカ研究に関心を寄せる多くの研究者、学生に推薦したい。

  「政教分離」を理解する上でまず確認すべきことは、判りきったことではあるかもしれないが、何よりその意味の多義性を理解することにある。「国教禁止条項」と「自由な宗教活動条項」を合わせた憲法修正第一条前半の記述をもって、合衆国における「政教分離」の内容とすることが多い。しかし、衆国社会の実態に沿った形で、その条項の意味を把握することはそれほど易しいことではない。例えば第3章「ロジャー・ウィリアムスに見る政教分離の相克」の著者森本あんりは、「国教禁止条項」に相当するものを「厳格分離主義」または「規制原理」と呼び、「自由な宗教活動条項」に相当するもの「許容主義」または「構成原理」と呼ぶ。そのうえで、厳格分離主義にのっとって公共の空間から一切の宗教的性格を剥奪したのでは、合衆国のような多元社会は分裂崩壊の危機に瀕しかねないのだから、社会を統合するうえで不可欠な道徳価値的な判断を委託する領域として宗教がどうしても必要になるはずだと問題を提起している。やや単純化し過ぎた理解かもしれないが、個の相違を認める「許容主義」には自由社会の脆弱さが常について回る。合衆国社会に内在するそうして自壊の危険性を緩和する機能が、合衆国のキリスト教には建国以来変わらず委託されてきた。既に述べたとおり、政治と宗教の分離をうたいながらも政治の世俗化を求めるわけではない合衆国の特徴、フランスなどにおけるのとは異なる意味での政治と宗教の緊張関係が、そこに生まれるのであろう。本書でもこの問題が繰り返し議論される。とくに、第7章「民主主義社会における宗教の役割――トックヴィルの宗教論」を著した原千砂子、第8章「ファンダメンタリズムと政教分離」を著した増井志津代、第12章「アメリカにおける政治と宗教の現在――新帝国主義とキリスト教原理主義」を著した千葉眞らの緒論では、この問題が中心的論題となっているように思う。一方、例えば第4章「18世紀初頭の王領植民地マサチューセッツにおける教会―国家関係」を著した佐々木弘通は、制度上の政教分離がどのような努力の積み重ねの上に確保されてきたのか法文の厳密な解釈にのとって明らかにしている。牧師の生活費はいったい誰がみるのか。問題はそうした具体的な位相から始まるのである。理念だけに流れないソリッドな論考として勉強させられる所が多い。

  ところで、合衆国における政教分離の問題といえば、レーガン政権期に始まり現在のブッシュ政権期に入ってますます緊密度を増している、行政権力と宗教右派との擦り寄りが多くの研究者の関心を惹こう。この問題にも本書は着実な理解をもたらしてくれる。実際、教会制度が以前ほど制度的な輪郭をはっきり維持できなくなった現在、福音主義的ファンダメンタリストを中心とする宗教右派と政治権力がイデオロギー的結束を強めている現状を、複数の執筆者が批判的に論じている。例えば、バプティスト派の牧師であるジェリー・ファルウェルや同じくファンダメンタリストの伝道師であるパット・ロバートソンらが説く教義には、創造主である神により遣わされるキリストの再臨以外この罪に汚れた世界を救済する術は無いと説く、特殊な終末論の響きが含まれるという。「ボーン・アゲイン」を自称する政治指導者たちの言葉に(私などが)感じるある種の唐突さ、非現実味と、そうした教義とはどこかで繋がるのかもしれない。いずれにせよ、ひろく公共の倫理を提供してきたと評価されるキリスト教文化、「パブリック・プロテスタンティズム」とまで呼ばれ公共道徳の供給源として信頼を得ていたかつてのキリスト教信仰の姿をそこに探ることは難しくなった。世俗主義、合理主義の洗練を経た後に合衆国の宗教はどこに向かうのであろうか。「重なり合う合意」(本書311頁)を作り上げることを可能とする公共哲学の働きを合衆国の宗教に期待することが今後もできるのであろうか。それらの問題を考えるうえでの良き入門書と本書はなるに違いない。アメリカ研究に関心を寄せる広範な読者へ本書を推薦する理由はそこにもある。