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森本あんり『アメリカ・キリスト教史--理念によって建てられた国の軌跡』(新教出版社、2006)

2007/8/10 金曜日

  例えば以下のような質問を学生から受けたとき、即座に答えられる日本のアメリカ研究者はどのくらいいるのだろう。1.政教分離の原則から見たプリマス植民地とマサチューセッツ湾植民地の相違。2.ユニテリアニズムの知的伝統。3.冷戦とキリスト者。いずれの質問もキリスト教の信仰に触れる問題だが、アメリカ史の問いとしてはかなり基本的な問いに入る。しかし、例えばアメリカにおける人種やジェンダーの問題に関する理解と比較した時、上に挙げた問題に関する我々の理解は驚くほどに狭く浅い。それらの問題にはアメリカ人の研究者が良い研究書を出しているから、それを読めばよいのであり、我々はもう少し判りやすい問題からアメリカに接近したい。そういった言い訳を少なくとも私は準備している気がする。

  日本のアメリカ研究には著しい偏りがあり、その一つが「アメリカのキリスト教」という主題への敬遠だと本書の著者、森本あんりは主張する。その通りだと思う。研究すべき課題としての宗教となると、修験道やカルトのような非日常的な世界をまっさきに思い浮かべ、日々の生活のリズムと化した宗教倫理と政治の繋がりなどに思いが至らないことがそもそも問題なのかもしれない。けれどもアメリカのキリスト教はそれほどに思弁的な存在ではなく、もっと日常生活に寄り添った、柔軟な存在であるらしい。それ故に大衆の心に届き、土着化し、逆に抜き差しならないパローキアルな世界像を生み出しもする。普遍宗教の名のもとに植民地主義の一端を担ったアメリカのキリスト教など苦労して研究するに価しないと批判する者も少なくはない。現職の大統領を含む「ボーン・アゲイン・クリスチャン」の言葉に首を傾げ、「だからアメリカはわかない」と匙を投げたくなる気持ちもわかる。しかし、アメリカのキリスト教という主題を避けてはアメリカのうちの大切な一部分を我々は理解できない。第二次世界大戦後、占領軍司令長官となったマッカーサーが人類の平和における「問題の本質は神学的である」と語ったという。このエピソードを本書を読むまで私は浅学にして知らなかった。21世紀に入ったアメリカの世界像にそうした陰影がまだ残っているのか否か予断を許さぬ時代に我々は生きているが、それだけに、アメリカのキリスト教という主題に今一度向かい合う知的勇気が試されている。本書を読んでそう思った。

  わずか182頁の紙幅に植民地開設から「9.11」までを12章に分けて収め、アメリカ史とキリスト教史を交差させた力業を高く評価したい。9章までが南北戦争以前の時代に割かれている点が本書の特徴の一つだが、そこに、アメリカがアメリカに「なってゆく」過程を知ろうとしない者に今日のアメリカの底流を理解することはできないという著者の思いが滲む。平易な言葉で綴られたアメリカ・キリスト教の通史として強く推薦したい。