reviews

『ブッシュのアメリカ』(三浦俊章著、岩波新書、2003年)

2010/1/11 月曜日

  本書の目的は、ブッシュ・ジュニアが大統領を務めているアメリカを、新聞社外報部の記者が、取材し、分析することにある。現場の取材やインタビューばかりでなく、歴史学や政治学の研究書も話題にのぼり、議論は淀みがない。加えて、「反米」がどのような文脈で国際的に引き起こされるのか、幾つか考えさせる点が出てくる。断片的な印象になるが、書き留めてみる。

  一番興味深いのは、アメリカの政府や国民が「対外的」にとる政策、態度が、本当の意味で外国を対象にしているとは限らないという点ではないか。アメリカの外交は国内政治の変奏でしかないとよく言われる。それは、例えば、「真珠湾」を歴史として語るアメリカ人に日本への配慮がきわめて薄いといった事実を思い出せば、よくわかることだろう。内向き、国内向けに、有権者へのアピールやビジネス上の利害を意識して、外交政策が取られることが多い。単独行動主義(ユニラテラリズム)と呼ばれる対外態度のそれが最も説得力ある説明であろうと私は思う。外交をする際に諸外国への配慮が必要だということ、国連その他の国際組織への説明責任も要るということ、そうしたことはアメリカ人の多くにも理解できるはずだろう。しかし、そう言った意味での周囲への配慮を含んだ外交をする意識がもともと薄い人ばかりが現在のアメリカ政治を操作していないか。第二次世界大戦やケネディのキューバ危機を知らない世代の政治家、決断主義と呼ばれる「分かりやすい」単純化された政治スローガンを掲げることを最重視する政治家、それらが、ブッシュを取り囲む政権の中枢だと著者は見ている。外国での生活をした事がなく、戦争をすることがどういうことかを多角的に吟味する力が無い、戦後イラク社会の復興に必要なノウハウがいかなるものかを長期的視野から見通す力も無い、そんな政府が「報復」の達成という思いに駆られて始めた戦争がイラク戦争であったというのだ。フセインを倒せばアメリカ人が中東で愛され、民主主義が自ずと成長するなどという単純な戦後世界像は、たしかに外交のセンスに欠ける。第二次大戦の対独、対日占領構想に相当するものすらない、浅薄な世界善悪二元論に則った戦争が、ブッシュの指導のもとで始められた事実をどう理解すればよいのか。その危ない政治の背景となる、アメリカ国内の政治状況が――中間選挙などもその大きなファクターとなるが――上手にこの本では説明されていた。(107-110)

  なかでも複雑なのが宗教の現状であろうか。ブッシュ大統領の政治を理解する一つの鍵が宗教文化であることはつとに指摘されてきた。本書もその点はぬかりなく取材しつつ、しかし同時に、より広い宗教の現況も捉えていて我々の疑問に答えてくれる。例えば、アメリカは65年の移民法以来、宗教的にはかつてない多元国家になっているが、その姿と日本で報道されるキリスト教右派に席巻されているブッシュのアメリカとは必ずしも一致しない。なるほど、カーター民主党政権のもとで政治に目覚めたものの、リベラルな民主党政治に飽き足らず共和党支持勢力として急速な台頭を見せたキリスト教右派、その世界観とブッシュの世界観は親和性が高いことは事実である(64)。だが、それだけを誇張して理解してはいけないことも事実なのである。著者が示唆するように、実際には、個人主義に席巻され拡散しがちな現代社会に何らかの文明原理を蘇らせる契機として、キリスト教を筆頭とする諸宗教が勢いを得ていると理解する方が、現代アメリカにおける宗教の理解としては正しいのであろう(175)。信仰の多元性が確保される、「神の下の国」(55)などの説明ともその理解は繋がっていく。ブッシュと「9.11」以後を繋げる視点を提供しつつも、さらにその繋がりを相対化する、より広角的な宗教理解を試みている点を評価したい。ブッシュのアメリカは現代のアメリカの一部ではあるがその全てではない。そのことを思い出させてくれるからである。

  「9.11」のアメリカ人の受け止め方、これが他国の受け止め方と異なる点にも著者は注意を払っている。「ネオコン」の芽は90年代からあった。41代ブッシュがやり残したイラク打倒が、90年代クリントン政権の手ぬるい国際主義のために、進捗が見られなくなったという不満がのちに「ネオコン」の名を馳せることになる人々の間には鬱屈していた。このままではアメリカの世界における影響力が削がれる(189)と彼らは焦りを募らせていた。そこに「9.11」が起こり、アメリカの中東へのあらたな介入を求める「ネオコン」の魅力を輝かせる舞台を作り上げてしまったのだと著者はいう(90)。そうした「ネオコン」の盛衰の文脈における「9.11」の意味という、現代アメリカにおける政治思想の流れを理解するのに役立つ局地的な視点を提供している点も評価しておきたい。

  現在のアメリカでは、テロの記憶、戦争の記憶が、大きな世界史的な文脈を離れ、個人の記憶や心の慰めのレベルで消化されがちである。国民一般は理知より感情に訴える説明を戦争に求める。著者が取材を通して目にしたのはそうした時代のイラク戦争像なのであろう。ベラーの意見を紹介した箇所(164-166)や戦後のヴィジョンを持たない戦争(193)という指摘は、薄っぺらなアメリカの戦争観を理解するのに役立つ。世界を文脈に自国の行動を客観視する訓練に一般のアメリカ人は欠ける。それは否定しようがない。だとすれば、大多数の国民が納得する政治外交を行えば、それが「反米」に行き着くことはある程度致し方のないことなのかもしれない。しかし、アメリカ国民自身にこの陥穽を自覚し自己修正する力があるのか。その点への著者の危惧には共感するものが多かった(163、199)。ブッシュの時代を考える良書である。