reviews

アメリカ「音楽誌」の試み:石橋純編著『中南米の音楽―歌・踊り・祝宴を生きる人々』(東京堂出版、2010年3月)

2010/5/29 土曜日

  博物誌や民族誌、地誌などに共通して使われている「誌」という語の意味は、本来、「事実を書き記す」といった程度のものであろう。しかし実際にその「事実」を書き記す者には、単一の視点からは説明しにくい複雑な事象を複眼的に把握しようとする意図が感じられる。本書はそうした意味での「音楽誌」の試みといえよう。ちなみにネット上で「音楽誌」という言葉を検索しても、その意味でこの言葉を使った例はほとんど見出せない。だとすれば、本書は、新しい学術の試みということにもなる。

  大学の研究者から演奏家、音楽プロモーターまでを含めた総勢十名の執筆者が、各自一章を担当し綴った本書は、編者の言葉を借りて言えば、中南米で「音楽とともに人々がいきいきと暮らす流儀」を活写した本である。そこには、レコードやネット配信などの技術革新を経ながら流通や演奏の形態を変えていく「ディスク文化」としての音楽を分析した論文も含まれれば、アンデスの村々やハバナの街角で民衆が奏でる「ライブ文化」としての音楽への思いを綴ったエッセイも含まれる。ブラジル、ベネズエラ、ペルーなどの特定の国あるいは地域に各章とも便宜上焦点をあててはいるものの、近代国家が策定した国境と特定の音楽が受容される地域とは到底重なり得ないから、その議論は歴史と地理の時空を縦横に駆け巡る。それが一冊の本としての本書の纏まりを多少弱めているかもしれない。だが、カリブ・ラテンアメリカ諸国からの移民の流入が米国に生みだした音楽の諸潮流を含め、中南米の音楽をマクロとミクロの両視点からこれほど多様に記した書物は少ない。「音楽誌」としては大きな成果である。

  本書を通読すればわかるように、ヨーロッパ系と先住民系とアフリカ系の人々が歴史を織り成した中南米では、音楽もその混淆の産物とならざるを得なかった。しかもその混淆のあり様が一通りでなかったから、話は複雑さを増す。ジャマイカやブラジルのように、先住民がほぼ絶滅するかヨーロッパ系との接触を断つ内陸部にしか生存しなかった地域では、ヨーロッパ系とアフリカ系の要素が色濃い音楽が成立した。一方ボリビアやペルーのように比較的多数の先住民が生き残った地域では、ヨーロッパ系と先住民系の要素が香り立つ音楽が生まれた。加えて二十世紀に入ると、これらの流れに、政治経済の変動がさらに大きな影響を与えた。例えば、第一次世界大戦の戦争特需で潤った都市の坩堝で洗練の度を深めたタンゴなどの音楽が、国境を越えて南北両米大陸に浸透したのである。さらに時代を下れば、旧宗主国であるスペインやポルトガルからの影響を脱するとともに北の巨人である米国の影響にも抗う国民音楽の創造が要請され、アフロ系の要素を強調するサンバや社会主義的な政治批判を内在させたヌエバ・カンシオン(新しい歌)が台頭した。それらの音楽の際立たせるのは、音階、リズム、楽器であり、演奏される場などである。そもそも言葉を主たる伝達媒体としない音楽の意味や凄さを言語で記述しなければならない難しさが音楽研究にはある。各執筆者はそのハードルを時に冷静に時に情緒的に越えていく。レゲエのダブにおける「場違い」や「落差」が持つ意味をジャマイカが西洋近代に占める意味にまで敷衍した文章や、ブラジルの「田舎」風音楽であるムジカ・セルタネージャの沿革を、近代化が生み出すある種の懐古趣味を補助線に描いた文章など、筆者の日頃の関心にも触れとくに印象深かった。

  さらに面白かったのは、音楽の影響関係がキューバから米国へといった単一の方向にだけではなく、ある時は逆方向に、またある時はサーキット型に周回して世界を覆っていることを本書があらためて教えてくれたことである。十九世紀のヨーロッパ舞踏音楽がカリブ・ラテン風に解釈され生まれたのがキューバのアバネーラ(ハバナ風という意味から生まれた名称)だが、そのリズムはビゼーの歌曲「カルメン」(1875)や米国のジャズの名曲「セントルイス・ブルース」(1917)にも影響を与えたという。戦前の日本で封切られた映画『続千萬長者』(1938)でエノケンこと榎本健一が黒塗りの顔でこのブルースを歌ったというから、興味は尽きない。一方でジャズやロックのみならずレゲエやヒップホップの波まで呑み込んだニューヨーク・サルサが二一世紀のキューバに逆輸入され、レゲトン、クバトンの旋風を巻き起こしている。国境を超えるこうした音楽の消費構造にまで議論が深まれば、中南米の、いやアメリカの「音楽誌」はさらに豊かになるのではないか。ジャケット・デザインの奇抜さに釣られてかつてレコードを購入した「インカの歌姫」イマ・スマックの奇声にも、歴史社会的な背景がきちんとあることを学び直した評者は、本書にみる「音楽誌」の試みがさらに大きく育つことを期待している。