2017年1月21日 "ウィメンズ・マーチ" ―ヒラリーの敗北を乗り越えられるか

2016年11月8日のアメリカ合衆国大統領選挙は、大方の予想を覆し、共和党のドナルド・トランプが民主党のヒラリー・クリントンに勝利した。この選挙結果が世界中を驚かせたことは周知の通りである。在外研究で2016年4月から1年間マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在していた私も、合衆国国内政治の現状分析を専門とするわけではないのに、いったい何が起きたのか、選挙当日以降、結果が衝撃的であったが故に、メディアで語られる選挙分析に一定の関心を払わざるを得なかった。ただ、トランプを支持した者たちの政治認識を追うことから16年大統領選挙の意味を明らかにしようと試みる研究者、ジャーナリストが多かったのに対し、何故ヒラリーは勝てなかったのかという問題を前面に押し出し、彼女を支持した者たちの政治認識を批判的に分析しようとする者の数は比較的少なかった。そもそも、冷静に考えればヒラリーが選ばれるのが自然であったのであり、トランプの勝利には自分たちが予想もしなかった秘密が隠されていると大方の研究者、メディアが考えたのであろう。ヒラリー陣営の政治認識をあらためて問い直す気持ちを持つ者は最初から少なかったのである。しかし、大統領選挙投票日から大統領就任演説が行われた翌17年1月を経て春に至るまで、この政治の激震にケンブリッジ周辺の有権者たちが見せた態度は、敗れた側の政治認識の分析ももっと必要なことを私には語っているように見える

2016年11月投票日前後

2016年11月投票日前後大統領選挙投票日の11月8日以前から、有権者の間で不安が感じられていなかったわけではない。8歳になる娘が通った小学校は、ケンブリッジ市内の公立学校の一つで、アフリカ系アメリカ人や女性の権利を守る運動をボストンで展開した社会活動家サンドラ・グレアム(1941?)と、アラバマ州モントゴメリーでバス・ボイコット事件を引き起こしたローザ・パークス(1913?2005)の両名にちなみ、「グレアム&パークス」を校名に掲げていた。投票日直前にその校長から、「選挙で何が起きても冷静でいてください。私たちの学校の理想に変わりはありません。」という保護者宛の手紙が届いたのには驚いた。学校からわずか数ブロック離れた所には、民主党副大統領候補の可能性も一時は囁かれた同党の上院議員エリザベス・ウォーレンが住み、彼女の発言に注目する有権者の政治意識は常に高かった。投票所に指定された小学校の体育館を当日訪れた投票者の大半も、ヒラリーの勝利を疑っていないように遠目には見えた。

しかし、ソリッド・ブルーと称され、民主党支持が強固なマサチューセッツ州の中でもひときわリベラルな選挙区であるケンブリッジだからこそ、トランプの支持率がヒラリーに肉薄していることを伝える投票日直前のメディア報道に逆に不安を抱き、怯えていたのかもしれない。その不安が的中するとは投票者の誰も思っていなかったろうが。

投票日翌日、在外研究期間中の私の所属先であったハーヴァード大学のキャンパスは、不穏な雰囲気に包まれていた。午前中の講義の幾つかは何が前日に起きたのかを議論する緊急の学生討論会に振り替えられ、事務職員労組と学生有志とが共同で“反トランプ”を呼び掛けるデモをキャンパスで既に始めていた。そのような場で、「ブッシュJr.の時代だって私たちは生き延びることができた」という、笑うに笑えない意見を述べて自らを慰める学生たちを目にすることもあった。教授たちも、トランプの選挙戦術は、自らをトリックスターに見立てて真面目な政策批判をかわす、例えばイタリアのベリルスコーニの政治手法に似ているといった興味深い分析を学生たちに語り、情況を冷静かつ批判的に理解させようと努めていた。ほどなく、「自分の記憶にある限り今回の大統領選挙ほど国民を分断させた選挙はない」、それ故にこそ、「憎悪、恫喝、不寛容」の兆しがトランプ次期大統領の勝利によって社会に強まるなか、「高等教育機関の設立目的とその理想、合衆国と人類の最も大切な諸価値」をハーヴァード大学は守ると説く、学長ドゥルー・ギルピン・ファウストからのメールが全学生教職員に届いた。

ここに紹介したケンブリッジ周辺の有権者の大統領選挙への反応を一言で言えば、まずは驚愕であり、続いて、多文化的で寛容な政治価値への脅威とその結果を捉える姿勢であった。

大統領選挙後、そして、女性の権利を求める "ウィメンズ・マーチ"

ドナルド・トランプの選挙での勝利を多文化的で寛容な政治価値の危機と捉える姿勢は、その後にケンブリッジで行われたさまざまの運動にも見て取ることが出来る。例えば、不法移民の強制送還を含む国境管理の厳格化を予期した移民法の実践ワークショップが、市の各地で開催され始めた。「移民のサンクチュアリー(Immigrants Sanctuary)」を宣言しているケンブリッジは、不法移民を含めた移民の権利保護に非常に積極的で、例えば州の取締官が自宅に質問に訪れたならば、憲法の条文を含むどのような文言を使って自分を守ればよいか、現役の市警官を含む運動家がワークショップで参加者たちに繰り返し練習させたのである。これから始まるトランプの時代を生き抜く実践講座のようなもので、草の根からの異議申し立てとはこういうものかと、私などは感心しながらその練習を体験させてもらった。

こうした運動のうねりを如実に示した一つが、2017年1月20日の大統領就任式の翌日に行われた"ウィメンズ・マーチ"である。この"マーチ"は、大統領選挙におけるトランプの勝利が女性の諸権利を危機に晒すことを懸念した女性運動家たちが、2016年11月にカリフォルニアからフェイスブックなどを通して合衆国全土にその実施を呼び掛けたもので、正式には、"Women’s March on Washington"と呼ばれた。それは、1963年3月にマーティン・ルーサー・キングジュニア牧師を先頭に立てて行われたワシントン大行進にちなむ命名であると、そのオフィシャルサイトは言う(https://www.womensmarch.com/)。

1月20日におけるドナルド・トランプ大統領就任への対抗をはっきり意識して組織された女性の“マーチ”の様子が、日本でどのくらい報道されたのか私は詳らかにしない。しかし、スローガンを共有して全米各地で一斉に行われたデモのなかで、合衆国史上最多の参加者をこの運動が動員した事実は記憶してよい。その総数は全国で330万から460万とされ、核となった首都ワシントンでの参加者が約44万から50万、ニューヨークが約40万、シカゴが約25万、アリゾナ州のフェニックスのような都市でも約2万人が参加したと推定されている。通常こうしたデモの参加者数を公式発表するNational Park Serviceは、今回に限って、技術的理由から推定参加者数の公表を不可とした。これがどの都市の参加者数にも「約」の語が付いた理由で、逆に、このPark Serviceの不可解な態度がこのマーチへの政権の敗北宣言にあたると一般が受け止めたことも、付記しておきたい。各種研究会などの休憩時間に、Park Serviceの曖昧な姿勢を、女性の研究者たちが勝ち誇ったように議論するのを後に幾度も私は耳にした。

ボストン市内のボストン・コモンで行われたマーチにも約17万5千人が参加した。前日の大統領就任式の様子をテレビでたっぷり眺めた後、せっかくだからと軽い気持ちで私もこのマーチを翌朝見に出掛けたのだが、まさか17万人を越すデモの波に自分が呑まれることになるとは予期しなかった。しかし、ケンブリッジからボストン市内に乗り入れる地下鉄は朝の9時過ぎからどの列車も満員で、ホームで次の列車が入ってくるのを待つデモ参加者の間からは、プロテスト・フォークソングが自然に湧き上がるといった具合であった。ボストンの有権者の危機感、怒りを私はそこに見る思いがした。この日の地下鉄乗車賃はデモが終わるまでの時間すべて無料で、誰でも自由に会場に行けるよう配慮されていたのも印象に残る。そして会場のボストン・コモンに到着してみれば、文字通り老若男女が手製のプラカードを掲げ、これからの時代における団結を訴えていることに軽い興奮すら覚えた。参加者の中に祖母と母と小学生になる孫娘といった親子三代の参加者が多いことや、女性ばかりでなく男性の姿が目立つことも私の目を惹いた。そして、参加者の誰もが手を繋ぎながらゲストのスピーチに耳を傾け、行進に参加する姿に、デモクラシーが息づく現場を見る気持ちがした。

しかし、である。ふらりと参加した異国からの観察者にもある種の心地よさを与えたこのような活動が目指すものは何であったのだろうか。冷静さを取り戻しあの日の体験を振り返ってみた時、果たしてあのようなデモが、トランプの政治への有効な対抗手段であるのか、一抹の不安も抱くようになった。団結を可視化することはもちろん大切だろう。だが、マーチが掲げる運動の目標が高邁であり過ぎはしまいかという懸念が、先ず浮かぶ。"Women’s March on Washington"の公式サイトにも掲げられているが、この運動のモットーは、例えば、女性の身体への暴力の排除であり、女性の生む権利の保護であり、LGBTの権利保護であり、あるいはまた移民の権利保護である。これらの諸権利が十分に具体的なものであることは研究者には明らかだとしても、その権利を獲得するための投票以外の具体的な政治の方策や、その権利が守られるべき生活の現場を、エスニシティや階級を越えて女性たちが語り会う言葉を運動が備えているようには必ずしも見えなかった。例えば当日デモの最前列を歩んだ既述のエリザベス・ウォーレンは、「私はここから反撃に立つ(I’m here to fight back!)」と壇上で気炎をあげていたが、2016年11月の選挙の結果は女性の権利を掲げたヒラリーがさんざ闘った末の結果であり、白人女性有権者の過半が実はトランプに投票したという事実が示すとおり、多文化的で寛容な政治文化を軸に据えた闘いは実際のところ有権者の心を掴み切れていなかった。「反撃する」なら、この運動がサイト上に掲げるモットー以外の別の何かがさらに必要なのでないか。全米で400万近い男女を動員する情況への危機感を政治の力に的確に替える新たな言葉が用意されなければならない。そんな懸念を私は拭いきれずにいる。

次の政治を語る言葉

あらためて"Women’s March on Washington"の行動目標をサイトで読むと、ある既視感に捕らわれる。というのも、2016年7月28日フィラデルフィアで開かれた民主党全国大会でヒラリーが行った大統領候補指名受諾演説の主張と、その行動目標とが共振するのを感じるからである。この受諾演説でヒラリーは、米国の主要政党が初めて女性を大統領候補に指名してくれた喜びを語り、そこに至るまでの過程を独立革命以来の自由の歴史に位置づけ、トランプと闘うことを誓った。エスニック・マイノリティの権利、女性の権利、LGBTの権利、労働者の権利などの保護をうたって、民主党の候補として選挙戦を戦い抜くことを彼女は誓ったのである。それは、多文化的で寛容な政治文化を掲げた闘争宣言であった。純白のスーツに身を固めたヒラリーが演説するのをテレビで見守りながら、アメリカ政治文化史の試験における満点答案のような演説だと、その夜私は思った。その時に受けた印象と"ウィメンズ・マーチ"から受ける印象が私のなかでどうしても重なるのである。もちろん大統領選挙は相手のある話であり、時局も勘案しなければならないから、一方の候補者の政治認識、政策構想を見ただけでは、その運動の成否を占うことはできない。しかしヒラリーが勝てなかったならば、この"ウィメンズ・マーチ"の延長では少なくとも大統領選挙ではまた勝てないのでないか。そう想像するのはそれほど無理なことではない。

女性の自己意識を「我々(we)」で言い表す政治運動が1960年代以降隆盛し、しかしやがて運動内部の対立や市場原理に即応する効理的人間像の研磨などを経て、より複雑な「我々」の絆を女性が模索するに至る歴史を、思想史家のダニエル・ロジャーズがその著書『亀裂の時代(The Age of Fracture)』(2011)で俯瞰したのを記憶する研究者は多いだろう。しかし、その「亀裂の時代」に枝分かれした諸々の社会改革の動きが、再び一つに纏まる気運は容易には生まれない。たとえ「9.11」以後、国民を糾合する争点がアメリカの政治文化に表面上は蘇ったかに見えても、それは戦時故のことであり、平時における国民の政治意識のまとまりを予示するものではない。そのような論調でロジャーズの議論は結ばれている。

1980 年代以降の文化戦争を経験し、亀裂の時代を通過した合衆国のリベラルな政治文化は、“Women’s March on Washington”が訴えるのとはどこか異なる政治の絆を求めていると私は思う。例えば、ガラスの天井を破ることができなかったと選挙後に自らの闘いを総括したヒラリーが胸中に秘める政治の分断戦と、大統領選挙における政治の分断戦は本当に重なっていたのだろうか。アメリカ社会の多文化的で寛容な社会規範をめぐり人々は争っていたのだろうか。率直に言って私には疑念がある。その問いに答えるには、しかし、有権者の意識の流れを掬い取るもっと別の言葉が求められよう。その言葉が何であるのか私にはまだわからない。あるいは、自分たちが追い求める「正義」や「平等」の意味が異なることを、分断された人々が互いに語り合えずに合衆国ではいるのでないか。その議論に必要な政治の語彙がまだ生まれていないのでないか。そんな思いを一年間のケンブリッジ滞在を終えたあと、私自身は抱く。アメリカの政治文化を把握し直す新たな言葉が今模索されている。

2026-03-15(再録)

初出: 2017年9月1日, CPAS Newsletter, Vol.18 No.1 (2017年9月)